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【ネタバレあり】二度目の激突!ラクガキングダムとほぼ四人の勇者の鑑賞を終えて感想・解釈

!!ネタバレがありますので、まだ鑑賞されていない場合は読まないでください!!

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昨日、二度目のラクガキングダムを鑑賞して、さらに色々考えてみたので個人的な解釈を、とりとめなく書いていこうと思います。

 

 

●なぜ「とーちゃんの脱いだズボン」をラクガキングダムの大臣たちが絶賛したのか?

 ・他の子どもはラクガキそのものよりも、VRのテクノロジーを楽しんでいる?

  → ラクガキを描く「手段」であるはずのVRが「目的」になってしまい、ラクガキを楽しむというよりかはテクノロジーを楽しんでいる

  →ゲームやタブレットの影響でラクガキが減っているということへの伏線。

  →他の子どもと対比させて、しんちゃんはVRに興味を示さず、床に直接絵を描いている

 

 ・のびのびとした自由な絵
  →ただの「ズボンの絵」ではなく、「とーちゃんの脱いだ」という自由な発想
  →ブリーフも、「おパンツ」ではなく「"二日目の"おパンツ」という発想  
  →川辺の水彩画や似顔絵やマサオの描いた吹雪丸は既存の絵をただ描いただけで、"自由な発想"が無いからラクガキエナジーは少ない。
  →ボーちゃんの石の絵も自由ではあるが、あくまでも、そこにあった石の模写。
  →しんちゃんの明太子は、公園にあるものではなく、しかも"日曜日にななこおねいさんと一緒に食べる"という設定つき。

 

■僕には、3歳の姪っ子がいるんですが、その姪っ子が僕の家に来たとき描いた絵がこれです。
  

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  1枚目左の絵がペンギンで、右の絵がイルカ
  2枚目左の絵がゾウで、そのゾウの絵の中心にある小さな黄緑の点がゾウの赤ちゃん、らしいです(笑)

  正直、上手に描けてるとは言えないんですけど(特にゾウの赤ちゃんなんてただの点だし・・・)、子どもの描くラクガキって上手に描くことが大切なんじゃなくって、本作で言っているように自由な気持ちで描くのが大切なんだよなってこの姪っ子の絵を思い出して痛感しました。
  大人になった僕には、絶対姪っ子と同じような絵を描くことができないのが少し寂しい気持ちです。
  僕は、ペンギンを描こうと思ったらきっと緑色のクレヨンは使わないし、クチバシや羽を描いてしまいますもん。
  でも、姪っ子がペンギンだと思って描いたペンギンは、緑色だろうがクチバシも羽もなくても(いや、そう見えないだけで姪っ子なりのクチバシや羽があるのかもしれません)、それは間違いなくペンギンなんですよね。
  だからこそ、絵だけ見たら「ただのズボン」や「おパンツ」だけど、しんのすけの描いた「とーちゃんの靴下」も「二日目のおパンツ」は、ちゃんとその臭いをもって実物化したんでしょうね。

 

 

防衛大臣があまりにも無能すぎる問題

 Twitterでよく、「防衛大臣が無能」というつぶやきを目にするので、そこについて考えてみました。
 防衛大臣が好きという方は、この部分読まない方がいいかもしれないです・・・

 

 ラクガキを許さないのは大人たち(=吉永先生がしんちゃんのラクガキを止めさせた)に怒り、ウキウキカキカキ作戦の決行。
  →ラクガキが消えたのは大人たちのせいだから、「大人たちを排除する」という短絡的な作戦
  →無理やり子どもたちにラクガキをさせる、ウキウキカキカキ作戦。カキカキはしても、全くウキウキじゃない。
  →無理やり描かせても、自由な絵は描けない。自由なラクガキこそ、ラクガキエナジーの源じゃないの?
  →民衆がキング賛歌してるその時、『ラクガキは自由な気持ちから生まれなくてはならない』というキングの言葉を「説教」と一蹴する。
  →最終的に世界中の人をラクガキングダムのためにラクガキさせようとするぶっとんだ発想。
  →不眠不休でラクガキを描かされた子どもたちのラクガキからラクガキエナジーが減ったのに、ラクガキサンバでまだまだ描かせ続ける強硬策。
  →その全てが悪意なく「ラクガキングダムを守りたい」という一心だからこそ、より無能さが際立つ・・・

 

■政治的な話はあまり詳しくないですが、「コロナから国を守ろうとして大量に使えないマスクを配布する」政策が脳裏をよぎりますね・・・


 ラクガキングダムの法律?なのかもしれないけど、閣議の決定(自分の作戦)に従わないキングを躊躇なく逮捕する。
  →そのあとラクガキングダムのためにしたことだからって理由で、キングから恩赦受けてたけど、完全な謀反ですやん。
  →そもそもウキウキカキカキ作戦じゃ、しんのすけたちに邪魔されなくても、ラクガキングダムの崩壊は防げなかったぽいし、"防衛大臣"として失格。


 防衛大臣がミラクルクレヨンを必要としている理由
  →物資を描き出し、ウキウキカキカキ作戦をより成功に近づける「手段」として必要だった。
  →途中から、ミラクルクレヨンを取り戻すことが「目的」みたいになってて、手段がいつのまにか目的になってしまうという無能っぷり・・・
  →しかも、ラクガキングダムが落ちて来てるのを目の当たりにしてるのに、ミラクルクレヨンが無くなったと聞いて完全に諦めるところでもう無能レベルMAX
 
■あそこで、諦めずにしんちゃんたちと一緒になって、最後の最後までどうにかしようとしてたら、ここまで株を下げずに済んだ気がするんだけどな・・・

  
  しかし、こんなに無能な防衛大臣ではありますが、その周りの大臣たちのほうがもっとヤバかったです。
  初見の時は、「他の大臣たちをもっと見たかったな」と思ったのですが、「とりあえずウキウキカキカキ作戦に賛成し、誰もなにも行動せず、失敗するとなると急に防衛大臣を責め立てる」というのに意味があるのかと思いました。
  これは、政治家に対する揶揄なのではないでしょうか?
  そして、カスカベ住民がしんちゃんを責めるときも同じで、「いいことがあれば声をそろえて絶賛し、悪いことがあれば自分自身は何もしないくせに声をそろえて非難だけはする」、無責任な国民を揶揄しているのではないでしょうか?
  


●ニセななこ

本作では、個人的なMVPキャラはニセななこです。
「しんちゃんすきよ」としか言わないし、ぶりぶりざえもんやブリーフに比べて登場シーンも少ないのに、見せ方が絶妙すぎてニセななこの感情とかしんのすけの距離が近づいていくのが自然とわかるようなってて素晴らしい

 

ニセななこの主な登場シーンに、しんちゃんからの好感度の変化を独断でつけてみました。

 

 ・ななこおねいさんを描いたつもりが、とんでもない見た目のニセななこが登場ししんちゃんの目が点。しかも「来るなー」と叫ぶ始末。
  しんちゃんからの好感度 -50

 

 ・崖から落ちそうになったしんちゃんを超絶身体能力で助ける。(視聴者にはニセななこの身体能力の高さをわかりやすく表現)
  しんちゃんからの好感度 -40

 

 ・車からぶっとんだ、しんちゃん・ブリーフ・ぶりぶりざえもん全員をキャッチ。(視聴者:こいつ身体能力最強やな)
  しんちゃんからの好感度 5

 

 ・水の流れる岩場で一番に登ってみんなをサポート。(視聴者:見た目はあれだけど一番頼れるやん)
  しんちゃんからの好感度 10

 

 ・ビワの皮をむいて、みんなに食べさせてあげる。ニセななこが食べてないのに気づいたしんちゃんはビワをニセななこあげる。
  そして微笑むニセななこ。(視聴者:ニセななこ可愛いやんけ)
  しんちゃんからの好感度 40 

 

 ・みんなを背負って、カスカベに向かって走っていくニセななこ。そして夕陽。
  しんちゃんからの好感度 60

 

 ・電車でニセななこにもたれて眠るしんちゃん。
  しんちゃんからの好感度 70

 

 ・しんちゃんを助けるため、雨に濡れて溶けながらも駆け抜けるニセななこ。
  しんちゃんからの好感度 100

 

 ・ななこおねいさんとの食事のときの、しんちゃんが「ぶりぶりざえもんとブリーフとユウマくんと、"たぶん"ななこおねいさん」と"たぶん"をつけるところ。
  しんちゃんからの好感度 MAX


■ユウマくんに、仲間を紹介するときに「"たぶん"ななこおねいさん」って言っていたのが、ここで活きてくるんですね。
 


ラクガキングダムのテーマとは

 

 ・地上からラクガキが無くなり、ラクガキエナジーが少なくなり、ラクガキングダムが崩壊しつつある。
  →整備された街や公園、子供の遊びはゲームになり、タブレットが普及したことが原因
  →京極監督は、それらを否定したいというわけではない。そのフォローとして「ユウマくん」の存在が必要だった?
  →タブレットを使いこなすユウマくんを、しんちゃんは「ユウマくんすごい!」「ユウマくんは頼れますな~」と言う。=テクノロジーはすごいし頼れる
  →タブレットで描いた絵だって自由に溢れている。

 

■これはラクガキだけに言えることじゃなくて、現代あらゆるものがテクノロジー化されていっていますが、それは物が変わっただけで、それを使う人の気持ちは変わらないっていうメッセージなのではないでしょうか。

 お金だって現金じゃなくてキャッシュレスも可なんですね。


 ラクガキは自由であるべき=(映画監督である京極監督の立場として)映画も自由であるべき
  →だからこそ、既成のパターンとは違う劇しんになった。
  →クレイアニメはオープニングにあるものという固定概念を捨て、エンディングに流す。
  →野原一家ファイヤーやカスカベ防衛隊ファイヤーの掛け声なし
  →野原一家や防衛隊の活躍は最低限しか描かない。

 

■今回の劇しんは、いつもと少し違っているところが多くあったのですが、まさに京極監督自身が確立されたパターンに固執せず自由な発想で映画を作ったからなんではないでしょうか。


 ・力を合わせることの大切さ。
  →ラクガキングダムの崩壊は、キングや大臣たちが心を一つにできなかったことが本当の原因。
  →カスカベの住人達も協力せずに、だれか悪者をみつけ、責任をおしつけていた。
  →最後の最後に、ぶりぶりざえもんの絵を完成させるためみんなが心を一つにして協力したからこそ、ラクガキングダムの崩壊を防ぐことができた

 

■「しんちゃん、ブリーフ、ニセななこ、ぶりぶりざえもん、ユウマくん」の五人はそれぞれ全く違う性格なのにお互いに協力しあっていました
 ぶりぶりざえもんだって、卑怯ではありますが、本当に裏切りったことなんてラクガキングダム以外の話しでも一度もないですしね。(裏切っても成功しないだけというのが正解なのかもしれませんが笑)
 それぞれ個性があって、全く同じ考えの人なんてきっとこの世の中にはいないでしょうけど、まさにコロナで大変な時代だからこそみんなで協力し合っていくことの大切さを感じますよね。

 

 

●「オラはもう誰ともお別れしたくないぞ!」

 本作一番の名言といっても過言ではないでしょうね。
 そりゃあもちろん、ニセななことぶりぶりざえもんが消えてしまったからのセリフてのもわかってます。

 だけど僕が二度目の鑑賞でこのセリフを聞いたとき、「臼井先生、塩沢さん、藤原さん」のことが思い浮かんだんですよね。

 

 最後ミラクルクレヨンで描いたお札が空に吸い込まれていくのは、きっとラクガキエナジーとしてまたミラクルクレヨンの結晶になってるんじゃないかなって思ったんです。
 溶けてしまったニセななこも、ぶりぶりざえもんも、ブリーフもみんなラクガキングダムのエネルギーとしてそこにあるんです。

 

 臼井先生たちも、このクレヨンしんちゃんという作品がこの世にある限り、ずっと生き続けているんですよね。
 小さい頃からずっと漫画もアニメも映画も楽しませていただいて本当にありがとうございます。

 

 

●地獄のセールスレディ
やっちぇえば~♪の時に、初見時は、紅サソリ隊と鬼瓦リフォームがいるのは確実に確認できたんですが。
売間九里代は見えた気がしたんですが、一瞬過ぎて確証なく、二回目見て確実に確認できました。地味にうれしかったです。

 


以上でした!
ここまで読んでくださりありがとうございました!!

 

 

ーーー追記 2020/9/17ーーー

Twitterのフォロワーさんと本作の季節についてやりとりをしていて、おもしろいことに気づいたので追記しました。

 

ななこおねいさんがキノコ狩りに行っていたり、相模湖の場面でススキの群生が描かれていることで私はてっきり秋だと思っていたのですが、どうも春もしくは初夏くらいの季節みたいですね。

予告編のときから、しんちゃんたちがびわを貪り食べているのは気づいていたのですが、びわの実が食べごろになるのが6~9月とのことです。

 

そうするとススキだと思っていたあの植物もススキではなく、チガヤなのかもしれないと思いチガヤについて調べてみたら驚きの事実がわかりました!

 

チガヤの花言葉は「子どもの守護神」「みんなで一緒にいたい」だそうです。(Wikipedia調べ)

 

これは、まさにラクガキングダムのテーマではないでしょうか!

偶然の一致なのか、制作者側の意図していたことなのかわかりはわかりませんが、「みんなで一緒にいたい」が花言葉なんてチガヤに少し愛着がわきますね。

 

ちなみに、しんちゃんが紙飛行機になって飛ばされて、春日部からたどり着いた相模湖のあのシーンは、個人的には劇しん史上でもTOP3に入るをくらい丁寧に描写された風景で、かなり印象的なシーンだと思います。

雲黒斎の菜の花畑、嵐を呼ぶジャングルの夕陽などなど印象的な風景のシーンも劇しんには多いんですよね。これをテーマにいつか記事を書いてみたいですね!

 

以上追記でした!